私の中の図書館〜ライブラリー〜

読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうので、ストーリーや読んで感じたことを書き留めたいと思います。

ジュリー・K・ノルム 「ネガティブだからうまくいく」(2002)

ネガティブだからうまくいく

ネガティブだからうまくいく

ジュリー・K・ノルム 「ネガティブだからうまくいく」(2002
 
この本に出会うほんの少し前、
気持ち的にすっごく落ちていた。
家に帰ると、余計によくないことを考えてしまうんじゃないかと思い図書館へ寄った。
 
私の今の状態にぴったりだった。普段の私だったら読まなかったかもしれない、この本をかなりのハイペースで読み上げた。
 
“ネガティブだからうまくいく”んだよ。と言って貰えて、心底救われた気がした。
図書館って、本ってやっぱりいいなって心から思った。
 
DP(防衛的悲観)
…何か悪い事が起こりそうだと考え出すとき、ちょっとした不安を何十倍にも膨らませてしまう。
 
・ネガティブ思考だからこそ、DPの人は自分の意思を貫けるし、モチベーションも高い。
・不安からの“回避”“言い訳”…は、ますます不安が大きくなる。
・ネガティブ思考は、不安な状況の「前」に使ってこそ真価が発揮されるということだ。ことが終わってからのネガティブ思考は、もう無用の長物である。
・不安をコントロールする役目が終わったら…クヨクヨ悩んだってしょうがない。前に進む目標が無ければ、悪いほうに考えたって、ただただ落ち込むだけだ。
DPは、何か起こる前に先回りしてネガティブ思考をするところがミソなのだ。この心理作戦を使うときには目標を果たしたら、ただちにネガティブ・モードのスイッチをオフにしてほしい。これ、重要である。
 
 
確かに、これまで先回りして不安を解消してきた。対外大きなことには発展せず、杞憂に終わってよかったことが多い。
今回のこともそうありたい。結果?が見えにくいし成果が分かりにくい。でも、目標は決まっている…だから、クヨクヨ悩んだって仕方がない。
でも、やっぱりジタバタするよ。そりゃするさ。当たり前だよ。ジタバタしちゃっていいんだよ。
ただ、ある程度努力出来ることはあっても、後は天に身を任せることも必要だ。
というくらいの心の余裕は…見せてみたいもんだね笑
 何かダメだなぁ〜って思ったときは、ぜひ図書館へ訪れてみたほうがいい。






田丸尚美「乳幼児健診と心理相談」(2010)

乳幼児健診と心理相談

乳幼児健診と心理相談


今回、私が研修をする側(教える側)に立つことになり、勉強し直そうと思い手に取ったのが、この本。
つい昨年までの私…日々の忙しさに追われて知識を磨くことがおろそかになっていたことに気付く。
きっとこの本に今のタイミングで出会え、これまでを振り返り、自分の立場を・これからを考えるとてもよい機会を頂いたことに感謝。
 
私が、始めた頃は乳幼児健診と心理相談のことが書かれてある参考書なる本がなかった。

詳しく書かれてある本といえば、ことばの遅れやことばの相談との絡みで書かれてあった中川信子先生の本と医学系の本、発達系の本くらいだった。中川信子先生の本は、健診の相談で関わる親子とどう向き合うかという視点においては、かなりの良書で何度も見返した。今一度ちらりと開いてみたが…やはり知識と理解は別ものなのだと痛感。
何年経っても、知識は必要だし、経験に裏付ける知識と理解(勉強し直し)も必要なのだ。
 
この本は、乳幼児健診における心理相談員としての心得と目的、心理相談員としてあるべき姿について明確に記されてある。
著者の言うように、心理はおかれているフィールドによってその姿を変える。
乳幼児健診を軸とした地域の子育て支援のシステムの中で、このフィールドが、
  1. ○子どもの成長の喜びを親と共有する場
  2. ○親と子の日々の生活にふれさせてもらう場
  3. ○親の主訴に込められる、時にはことばとしても語られないニーズに応える場
となる。
 
そこで営まれる心理相談の固有性として、
A 来談者の相談動機は必ずしもはっきりしていない
B 相談内容は、子どもや子育てにかかわる主訴に含まれている
C 相談の場は、相談員が子どもと養育者双方と関係を結ぶ三者関係の構造をもつ
D 保健師や医師らとチームワークをベースにおく
としている。
 
この固有性に立ったうえで、
心理相談の基本として、「親の話を聴くこと」「子どもの姿を見ること」「親子のかかわりにふれること」を押さえたい。
 
この基本が機能するために、
  1. *発達の流れをつかむ
  2. *生活の流れをつかむ
  3. *気持ちの流れをつかむ
をふまえることが重要。
 
●親子教室の意味-3つの気づきを保証する
○子どもの発達的特徴への気づき
○子どもとかかわるうえでの配慮についての気づき
○親として子どもとのきずなを確かめるための気づき

親子教室のことまでも、
そして一半、三健の見立てポイントまで書かれてある。

早速、購入しました!
 

岩永竜一郎×ニキ・リンコ×藤家寛子「続々 自閉っこ、こういう風にできています!~自立のための環境づくり」( 2009)

続々自閉っ子、こういう風にできてます!―自立のための環境づくり

続々自閉っ子、こういう風にできてます!―自立のための環境づくり

 
最近、かなりのハイペースで本を読んでいる。
しかも、仕事関係の本ばかり。
学生時代から、読みたいと思っていて読めていなかった本読破!のオンパレードな毎日である。
要は、暇なんです。
でも、こんな機会に恵まれてとても光栄と思うようにした。
 
実は、よくタイトルを見ずに「あ!ニキ・リンコ!」と思い手に取り…読もうとしたときに気付いたが。
あれ、これ「自閉っ子、こういう風にできてます」の続続編じゃん!と一瞬テンションが下がる。
が、初めてこのシリーズを読む人でも読めちゃうし発見の多い本だった。
いやー、やっぱり支援者は自閉症当事者の本を読むべき!!
作業療法士の岩永先生とのディスカッション、そして定型と自閉を結ぶ案内役の浅見さんと当事者ニキさんとという3人の組み合わせがとてもいい!!
 
ここ23年は作業療法OT)にとても興味があり、発達障害というか発達や発達支援を語る上で絶対に大事な視点であり、外せない視点なのではないかと思うようになった。
初めて発達支援という点で同じ視点で語り合えるOTさんとも出会えた。
 
思えば、身体と心についての関心は前々からあった。それが、発達支援というより現実的な問題へと広がってきていると捉えるのが自然かもしれない。
 
この本には、ニキさんの身体感覚を作業療法の視点から掘り下げてみると実に興味深い。
固有受容覚の弱さや偏り、前庭覚の弱さ、感覚の過敏性、運動企画の問題などなど…
何度もこの本の中に出てくるが、自閉症理解とはウィングの3つ組とその周辺にある諸症状という理解だけでは十分ではない。
この本を読んでいると、例えば幼児期や学童期の子どもの家庭外の集団生活の場でいかに配慮や工夫をしても難しいことがあると思い知らされる。具体的な日常生活場面での困難さについて、この本を読みながら想像してみるのである。。


とかく、大人になると余計にこういった発達障害者の体感覚の違いの背景を知らなければ、例えば仕事が続きにくい発達障害者は“なまけ者”“わがまま”“体を鍛えればいい!”“続かないのはコミュニケーション能力が低いからだ”等々…で片付けられてしまうかもしれない。

しかし、この体感覚の偏りや過敏性等が日常生活の困難さに起因しているとしたら、やはりいわゆる精神論や力動的な精神療法だけではお手上げなのだ。
成人の自閉症者には自身の体の仕組みや感覚を知り、それにあった対処を考えていく視点を提供する・そして子どもには体感覚の不自由さの観点を伝えて適切な関わり方へと繋げていくことも我々支援者には必要な視点なんだと強く感じた。
 
この本を読んで、なるほどなと思ったことをいくつか挙げると…
●巡回支援に行ったときの先生方のニーズ
1段階目;「教師自身が困っているからどうにかしたい」
2段階目;「子どもが困っているからどうにかしたい」
3段階目;「子どもは何も訴えないが、支援が必要だろ思うからどうにかしたい」
という3段階に分かれるという話。
1段階目のニーズしか持たない先生は、授業妨害をする生徒への気づきはあるが、大人しい受動型の自閉症児の生徒・児への気づきがない→「うちのクラスは困っていません」=「私は困っていません」で終わってしまう。
 
●罰の捉え方について
・定型発達の子
「いけいないことをする」→「大人はその行動を起こした子どもを戒めようとする」(その戒めには、教育的意味合いが含まれている)→「罰として掃除をさせられる」
自閉症の子
「いけないことをする」→「掃除をする」
自閉症の子は他者の考えや意図となる、教育的意味に気付けない。そのため、“僕・私は怒られてばかり”“理由は、いけないことをしたから”ということのみになってしまいがち。すると、いけないことをして相手に謝るべきとき、謝らずに掃除をやり始めることになるかも。
 
●感覚の過敏性について
自閉症の人の感覚過敏
  1. 脳機能の違いによって知覚の違いがあること
  2. 感覚刺激について理解できないこと
  3. 情動が不安定であること
 
自閉症の人は、構造化されていない状況下で関係性が出来上がっていない相手が関わった場合は過敏反応を起こしやすくなる。Ex)見通しが持てない状況・刺激の様相が掴めない(どこから侵入している刺激なのかが分からない)・刺激を与えられることの意味が分からないとき…自閉症の人は不安になる。
 
●固有受容覚の弱さ
固有受容覚…筋肉や腱の中の受容器が脳に情報を伝えることで近くされる感覚で、身体各部の位置や動きをつかむときに必要な感覚
・固有受容覚の情報を掴みにくくなると…身体の動きがどうなっているのか分からなくなる。自分の身体の動きを目で見ていないと運動がうまくできなくなる。姿勢の保持が困難。
・あらゆる動作の場面で行われている動きの微調整には、固有受容覚が必要。
・固有受容覚と自我意識には関係がある…固有受容覚の弱さを持っている人は、自我意識も希薄な人が多い。そして、ボディ・イメージの問題を持っていることも。ということは、固有受容覚の弱さはアイデンティティの確立や形成に大きな影響があるかもしれないことが分かる。心の問題とのみ捉えるだけでは解決できないかもしれない。
 
●固有受容覚に働きかける
1.筋肉の緊張を高める→固有受容覚に刺激が強く入る体験をさせる
2.姿勢コントロール能力を高める→重力に抗して身体を垂直に維持しようとする抗重力筋の活動の増加(乗馬、ブランコやバランスボールの上でのバランスを取る、坂道を上る等の遊び)
3.ボディ・イメージを育て、協調運動をするための基礎を作る→手や脚に固有受容感覚がしっかりと入る活動を入れる(ぶら下がる・ジャンプする・引っ張る等筋肉に強く力を入れる活動を取り入れる)
 
※強い刺激が入る活動を情動の安定化の目的で使う場合もある(トランポリンを跳ぶ・噛みごたえのあるものを噛む・深部圧覚を刺激する等)

末永蒼生 「絵が伝える子どもの心とSOS」(2010年)

絵が伝える子どもの心とSOS

絵が伝える子どもの心とSOS

一般向けで、読みやすい。
 
最後の“子育てに役立つ絵の見方”は、参考になるかも。


●子どもの絵には文法がある。
・人や動物や形などのモチーフは、主語であり目的語である。
・色彩は、動詞のように行動や感情を表している。
 
●色は感情のサイン
暖色系:意欲や活力など、体の働きで言うなら自律神経の交感神経に関係する色であると言えそう。前向きな気持ちや頑張りの心理と結びついている。
 
・赤…生命力を表現する。精神的には、物事に対する好奇心や意欲。健康面ではエネルギーの高さ。能力面では、得意なことが表現される。時に、怒りや不満などの感情を表す。この場合は、いい発散効果として捉えるとよい。

・オレンジ…赤ほど激しくはないが、活動的な気分のときや表現欲求が高いときに選ばれる。この色が多く使われていたら、好きなことに取り組む意欲十分とみてよい。

・黄…幼児期によく使われる色。温かさを欲求する心理と関係がある。よく使われるときは、「私を見て!」というサインかも。
 
寒色系:穏やかさや落ち着いた気持ちと関係。このような色調を使いたがるときには、少し距離をとって静かに見守ってあげるほうがいい。

・緑…ゆったりした気分やマイペースなときによく使われる色。逆に、疲れているときにも、この色が欲しくなる。子どもが緑を好むときは、一休みしたいのかも。

・青…青とっても幅広い。明るい空色なら、さわやかな気分。はっきりとビビッドな青色なら思考力が働いているとき。もっと深い青なら、静かに自分の世界に入り込みたい心理状態のときが多い。紺色のような暗い青になると、家庭での躾の厳しさや学校の勉強等がやや重荷に感じられているかも。
 
・紫…赤(暖色系)と青(寒色系)を混ぜると出来る色。ふたつの要素を含んだ複雑な意味合いを持つことがある。心理的にもやや複雑な意味合いを持つことがある。例えば、やる気はあるけれども自身がなくて悩んでいるとか、不満や怒りを感じながら我慢しているとか、矛盾した心理状態を反映することが多い。心身のバランスを取り戻そうとしている状態。子どもが紫を好む場合には、エネルギーを充電してあげるつもりで優しく接してあげるとよいだろう。
 
・モノトーン(白や黒)…感情が内に秘められている状態。黒ばかり使うので性格が悪いということはない。緊張しているときや新しいことに挑戦するときなど気持ちを引き締めるときは、あまり派手な色は使わない。学習面で観察の工夫などに集中し知的な活動が優先している時期は、黒一色で絵を描く。緻密な作業に熱中する場合は、色彩はむしろ邪魔になるので黒一色で描き上げたりする。
 
●配色の意味
2色なら、関心事が二つ以上であることを反映している。
・人と人との関係が色と色の関係として表現されていると見立てることが出来る。
・配色の種類によって、そこに込められた感情を理解することも出来る。
 
●形やモチーフが語るもの
・太陽…温かい光のエネルギーを与えてくれる源。

・雲や雨…軽く流れている雲ならさわやかな気分の反映。暗雲がたれこめるような重苦しい表現なら子どもの心を曇らせることと関係している可能性。雨が激しく降る様子や冷たい行を描くときは、何か強いプレッシャーを感じていたりする場合がある。

・虹…楽しく開放的な気分が表れることが多い。

・花…花や植物は、人間の象徴として描かれることが多い。植物の描かれた状態=子ども自身の状態の分身。絵の背景に描かれることの多い山の形は、親の象徴であることが多い。

・家…1階建てなのか2階建てなのか。窓の描き方に、子どもが家庭に感じている気持ちが表れることが多い。

・橋…橋は二つの場所を繋ぐもの。しっかりした橋であれば、人と人との絆の深さを感じさせる。吊り橋のように危なっかしい橋の表現であれば人間関係への不安などを象徴する場合がある。また、橋は新しい場所へと渡してくれるものでもあり、子どもが新たなことに挑戦したりするときにも登場する。

・生き物、キャラクター…子どもの好むモチーフには心理的には本人の分身であると言えそう。そのモチーフ、キャラクターが絵の中にどのように登場しているかに注目すると解釈の仕方も変わってくる可能性あり。

杉山登志郎「子ども虐待という第四の発達障害」(2009)


もう随分も前になるが新刊コーナーで見かけて…
読みたいと思いながら、ずっと読めずにいた。
これが今から約8年前に書かれてあるとすると、日本の虐待臨床にとってはかなり新しい見地だったはずだ。悲しいことに、内容は今でも新しい。
子どもの臨床に携わる人は、マストバイな1冊。
杉山先生の人柄が伝わってくるかのようで、内容もわかりやすく理解しやすい。
 
普段は、発達障害の臨床に身を置いているが、家庭環境なのか、発達の問題なのかアセスメントの難しい子が沢山いる。
この著に書かれているほどの激しい虐待による影響を受けた子は、児童相談所に勤務していた頃以来、とんと見ていない。
 
M1の頃(今から約10年前)、西澤哲先生が言っていた。
今の日本の虐待臨床は、アメリカの20年前だと。
根本的な解決を見ないまま、これからもっともっと莫大に被虐待は増え続けると。
まさにそうなった。
 
杉山先生の指摘するように、被虐待の子のケアについて我が国では十分な体制が取れているとはいえない。
日本では、被虐待児や家族のケアや予防についてのシステムが十分に確立されていないのだ。
 
児童相談所も自治体によって差があり、いわゆる医師と様々な専門職との連携がうまく図られているところは非常に少ない。現に、児童相談所は、虐待を発見した際に親との分離には強力に介入し、積極的に子どもに関与するが、家庭復帰もしくは施設入所となると子どもとの接点はほぼ無くなるのである。
親担当のワーカーは、福祉を学んできたケースワーカーばかりではなく、単なる事務職が転勤によってワーカーをやっていることもある。子面接よりも親面接の方が大変な中、面接技術の指導やスーパーヴィジョン体制もなく親への治療的アプローチが出来ているとは言えない。先進的な場所では、親面接を臨床心理士が行う場合もあるようだ。
大事なのは、虐待を発見して親と分離させることではない。発見したとしたら、その後のケアや再統合をどうしていくかについて策を練らなくてはならない。
 
この悲惨な現状というか、明るい展望を抱けなかった点が、私が児童相談所の臨床から離れることになった大きな要因であったことを思い出した。
しかし、そんな無責任なことを言っている場合ではない。今後、関わることが必ずあるのだから。
 
この本から得た新たな見地
●反応性愛着障害について
抑制型RAD…生後まもなく極端なネグレクトの状態に置かれると抑制型の臨床像をたどることが多い
脱抑制型RAD…ネグレクトに加え、身体的な虐待、養育者が一定しないなどの愛着の形成が部分的な成立のみの状態に置かれた子どもは脱抑制型をたどることが多い
 
●高機能広汎性発達障害と反応性愛着障害の鑑別点
・一般的な家庭環境では、反応性愛着障害抑制型は生じない
・治療を行いながらフォローアップすれば鑑別が可能
・反応性愛着障害は抑制型から脱抑制型へと変化する
・対人的ひねくれ行動など、対人関係のもち方は反応性愛着障害のほうがより敏感さを示す
 
●虐待によって生じる解離性障害
・虐待が脳に及ぼす影響が、様々な研究により明らかになってきている。
脳梁→解離症状
海馬、(偏桃体)→PTSD、(BPD
前頭前野→実行機能の障害
前帯状回→注意の障害 
上側頭回、眼窩前頭皮質、偏桃体→社会性・コミュニケーションの障害
 
 
解離性同一性障害と複雑性PTSD…子ども虐待の終着駅
・多重人格が明確に認められない場合でも、スイッチングと呼ばれる人格モードの切り替わりが認められる被虐待児は多い。-部分人格(パーツ)の存在
・複雑性PTSDDESNOSとも呼ぶ)…子ども虐待のように、長年にわたり、繰り返し強烈な心的外傷を受け続けた結果生じてくる精神障害。最も一般的に見られるのが、感情コントロールの混乱。感情の極度の押し殺しと同時に、突発的なかんしゃくの噴出が見られる。それぞれが別々の人格で遂行される場合も少なくない。次に、意識の不連続が常に存在する状況となり、多重人格の形をとることが多い。
 
●治療について
・いわゆる、一般的な精神療法、力動的精神療法のみでは解決に至らない。
薬物療法の積極的な導入。
・安心して生活できる場の確保→愛着の形成とその援助→子どもの生活・学習支援→心理療法(認知行動療法;トラウマ、フラッシュバックへの対応と解離に対する治療)が必要。

読み終わって、
発達の問題と神経症圏、精神障害圏と重なり合う部分がかなり多いことを知る。

発達のことだけの見地ではやはり限界があると痛感。
視野を広げたい。




齊藤万比古「発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート」


発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート (学研のヒューマンケアブックス)

発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート (学研のヒューマンケアブックス)

買おうかどうしようか迷って、図書館で借りることにした本。


この本の内容は、2008年の実践障害児教育に二次障害のケアとサポートとしてシリーズで載っていた。
(抜けている回があるが)私はコピーして手元に置いていたことが判明。
見比べる多少の加筆修正はあるものの、コピーでも十分な気がした。
 
当時、職場で回っていた実践障害児教育の気になるコーナーをよく印刷させて貰っていた。
大学院を卒業したての私は、実践障害児教育の内容はどれもとても興味深く…後で読もうと思ってコピーしたままになっていた。少し読んでは、放置…を繰り返してきた。なので、前半は読んだことがあった。
前半がやや硬い表現なのが残念。
文章が頭に浸透してきにくい。
 
この度、やっと読破することが出来た。
二次障害に対する考え方が少しだけ変わった気がする。
様々な障害との対比を見ていると、なるほどなと思う反面、
実際の臨床ではかなり鑑別が難しい。
詳細な生育歴と状態の確認が必要だ。
以下は、忘れたくないことの内容メモ。
 
 
二次障害…発達障碍児・者が環境との相互作用を通じて出会ってきた各年代に特有な発達上の危機や偶発的ではあるが重大な出来事(家族の病気、両親の離婚等)との遭遇の痕跡のうち精神障害の診断にあてはまるもの。
 
二次障害のタイプ
  1. 「外在化障害」…内的な怒り、葛藤、極端な反抗、暴力、放浪、反社会的犯罪行為といった行為上の問題に託し、自己以外の対象に向けて表現する反抗挑戦性障害や行為障害などの精神障害

  2. 「内在化障害」…怒りや葛藤を不安、気分の落ち込み、強迫症状(不潔恐怖や手洗い、強迫等)、対人恐怖、ひきこもりなどの情緒的問題に託し、自己の内的苦痛を特徴とする分離不安障害、社会不安障害気分障害強迫性障害などの精神障害
 
 
●幼児期・学童期における二次障害へのケア
発達障害と反応性愛着障害RAD
反応性愛着障害…各種の子どもの虐待により、乳幼児期に養育環境の安全性や恒常性が著しく脅かされ続けた結果として起こることが多い障害。

  1. 抑制型…他者に対する著しい愛着行動の欠如
  2. 脱抑制型…誰かれ構わず甘えていく愛着行動の無分別の過剰性
 

●PDDと抑制型RADの相違
・純粋なPDD…たとえ対人関係の形成が困難であっても、養育環境にはそれなりの豊かな関係性が存在している。
・抑制型RAD…豊かな養育環境は存在せず、顕在的には求めないにもかかわらず、どこかハングリーさを相手に感じさせるような両価性が存在する。
 
ADHDと脱抑制型RADの相違
・純粋なADHD…親しい大人から要求を拒否されでも、次にその相手に会ったときに屈託なく嬉しそうに接近していく。
・脱抑制型RAD…いったん拒まれた対象と再びよい関係を結び直すことに大きな障害がある
 
※幼児期から学童期早期にかけての時期に経験した心的外傷となるような環境やライフイベントは、すべて反応性愛着障害を引き起こす可能性がある。
 
●反抗挑戦性障害と行為障害
ADHDの見せる反抗性…衝動性の反映として理解すべき。制止に対して見せる攻撃的な反応の直後に、それを忘れたかのようにすぐにその大人に近寄って行ったり、褒められると大喜びしたりという形で現れる、気のよさや人懐っこさが優勢に存在している。
・二次障害としての反抗挑戦性障害…反抗的な態度や行為が、制止や叱責に対する衝動的な怒りの反応というにはあまりにもその水準を超えている。
 
・行為障害…ADHDの子どもが虐待的な環境で養育された場合にとりわけ出現しやすいとされるが、同じような環境で育てられたPDDの子どもにも生じうる。
 
●分離不安障害
・幼児期における強い恐怖を感じた体験や子どもの虐待のような逆境的体験、養育者の交代や死去による喪失体験、子ども自身や養育者の入院などによる別離体験などを挙げることが出来る。また、母親をはじめとする養育者側が子どもの安全が損なわれたり、子どもを奪われたりするような自体への強い恐れをもっているような場合や、子どもの存在を気遣えないほど精神的余余裕を奪われているような場合にも子どもに分離不安が高まることがある。
 
押さえておきたい内容だけ抜粋。

まだよくわからないことがあるので、もう少し読みたい二次障害系の本!

井原成男「ウィニコットと移行対象の発達心理学」

ウィニコットと移行対象の発達心理学

ウィニコットと移行対象の発達心理学

発達心理学をもう一度、最初から勉強し直そうと思って手にしたまず第一冊。
 
ドナルド・ウッズ・ウィニコット…イギリスの小児科医、精神科医。対象関係論。
 
ウィニコットといえば、移行対象やスクイッグルを思い浮かべる。
いわゆる、学生時代には心理用語としての知識や理解はあったが、乳幼児期の発達心理や母子関係という側面からのアプローチでの理解は乏しかった。
 
*移行対象…幼児(移行期と呼ばれる1~3歳頃)が肌身離さず持ち歩き、それがないと著しく不安になる、毛布やぬいぐるみなどの無生物を指します。移行対象は、絶対的依存から相対的依存への移行期に、分離不安に対する自己防衛として現れる。
 
移行対象のもつ3つの側面
  1. 子どもは、ブランケットであれぬいぐるみであれ、その対象を主観的には生命をもったものとして生き生きと感じている。心の中ではイメージの世界が膨らんでいるが、しかし同時に単なる物に過ぎない。移行対象はこうした主観性と客観性を同時に持っている。
  2. 移行対象が現れてくるのは、母子の分離が問題になってくるとき。子どもは分離不安に対する防衛手段として移行対象を創造する。
  3. いわば、子どもが意の向くままに自分の願望のままにふるまっていた(快楽原則に支配された)時期から、私たち大人たちと同じ世界へと歩みはじめる(現実原則に支配された)時期への移行期に現れるという側面を持っている。
 
●欧米では67割に出現。日本では、3割程度。
欧米は、自立を促す子育てをしており、日本は母子の接触や愛着を重視するところがあるため。
 
●移行対象≠指しゃぶり
①移行対象は、子どもの身体の一部ではなく、身体から離れた存在である。よりごっこ遊び的な世界(対人的な世界)へ広がっていく性質を持っている。“不安を静めるもの”
②指しゃぶりは、母の代理として口唇愛的な生理的快感を得られるもの。“楽しみを与えるもの”
 
●積極的(健康な)意味合いを持った移行対象は安定した母子関係の中で現れる。
●不安定な母子関係の中では、移行対象が固着したり、習癖化されていってしまう。
 
●発達的側面からみた移行対象の2段階
・一次的移行対象
  1. 1歳までに現れる
  2. 1年以上継続する
  3. 不安を静止するものである
  4. 哺乳瓶やオシャブリなど口唇愛的なものではない
  5. 子どもによって発見され、選ばれたものである
  6. 子ども自身あるいは母親の身体は含まれていない
・二次的移行対象
1~2歳の間に現れる柔らかい玩具である
 
*ブランケットや布団のような感覚的な物から、ぬいぐるみ等の対人的な物へ、そして、ペットのような人格的な物へと発達的に変化していく。
 
●移行対象の取り扱い
①取り上げてはいけない
②普通に考えるよりもいろいろな役割を持っている
③それとの遊び方、かかわり方の変化を見ていくと子どもの心の成長が分かる
 
 
 
その他のウィニコットの考え方
  1. good-enough motherholding-抱っこ)
  2. 生き残ること
  3. Mother infant unit
  4. Concern
  5. 一人でいる能力
  6. 創造性‐遊ぶこと
  7. 依存と自立…絶対的依存-相対的依存
  8. 中間領域
  9. 幻想と脱錯覚
 
 
1)good-enough motherholding-抱っこ)
ほどよい母親、適切な母親等と訳される。母親の機能には①holdinghandlingobject-presentingがある。
母親には子どもを抱え込み、ささえる環境としての役割がある。
6)創造性‐遊ぶこと
本当の意味で遊べる人は、また創造的な人でもある。
7)ウィニコットは、依存を①絶対的な依存②相対的依存③自立へ向かう段階に分けている。
8)主観的な世界と客観的な世界とのつなぐ=中間領域。この中間領域に移行対象が現れる。
 
ウィニコットとメラニー・クライン
ウィニコットは、クラインから訓練を受けたが、クラインの①羨望②妄想-分裂ポジション③死の本能というコンセントを受け入れられなかった。クライン学派からは破門されるが、クライン自身からは拒否されていない。