有川浩 「レインツリーの国」
2012年11月25日
短い内容だったど、読んでから感想をupするまでにものすごく時間がかかった。
読み終わって1カ月ぐらい経ったかな。
色んなことを考えさせられた。
聴覚障害についてや愛について。
閉館ギリギリの図書館で、2冊目が決まらずにいたとき。ただほんまに“有川 浩”の段で読みやすそうかなと思ってチョイスしただけだったのに。
読み始めてすぐに引き込まれていった。
顔を見ていない、ネットというメディアを媒介しての恋愛のはじまり。
「レインツリーの国」
ここだけだと一瞬どこかで聞いたような話。だけど、この小説はもっとずっとぐっと奥が深い話。
ただの恋愛じゃなく、中途難聴の女の子と健聴者の男の子の恋愛。
*聴覚障害について
実際に、全聾の人に出会ったこともあるし、難聴の人に出会ったことだってある。
実は、私の母も感音性難聴ではないかって言われている。
思えば、深く考えたことなんて一度もなかった。
結局、私は表面的には知ってはいたけど相手を知ること・想像することはしていなかったわけだ。
おそらく、こうした今でさえ本一冊出会っただけで何が変わったっていうんだ、と
思う人もいるだろう。
これで全部を理解しようなんておこがましい。
そんなことをしたいと思っているわけじゃない。
ただ、知らない世界を知ろうとすること理解しようとすることを
してみたいと本当に思った
それだけは事実。
「聴覚障害は二重絡みの障害でもある。(中略)聴覚障害で最大の問題は、人間としてのコミュニケーションから隔絶された状態に置かれることになるのを世間になかなか認知されないことだ」
聴覚障害って人事言っても、
聾亜
難聴者(軽度~高度難聴)
老人性難聴
と色々な区分がある。
驚いたのは、全聾者と難聴者・中途失聴者の持つ文化が微妙に違うってこと。
「全聾者が第一言語を手話とし、手話コミュニケーションを母体とする独自のコミュニティを持つことが多い。そして、『話せるのに聞こえない』という点において健聴者から理解されにくいのは中途失聴や難聴者である」
難聴
障害の原因、部位によって“伝音性”と“感音性”とに大きく二分される。
“伝音性”…外耳や中耳の伝導性に問題があって音の伝わりにくい難聴。治療や聴覚器具の助けがかなり期待できる種類の難聴。「聞こえない音を大きくする」というシンプルな補助が有効。
“感音性”…内耳から奥の聴覚神経に問題がある。一般的に高音域になるに従って聴力が落ちてくる。「聞き分ける」能力の障害でもあるため、単純に補聴器等のボリュームをあげても雑音の大きさが上がるだけになってしまう。治療法も限られ、その効果も伝音性ほど期待できない。
“混合性”…伝音器にも感音器の両方に原因を持つ難聴。
残存聴覚…残された聴覚
参照;「<a href="http://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/001.html">聞こえてるけど、聞き取れない</a>」http://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/001.html
日常の中では…
その他、後ろから話しかけられると何を言っているのか聞き取りにくいことや雑音の多い場所では会話が聞き取りにくい。エレベーターのブザー、体温計・キッチンタイマーの音が聞こえない(そういえば、これはうちの母もそうだ)。
こうして
知識として得ることは出来ても体験して分かることは出来ないから、
ただでさえ、難しい人とのコミュニケーションが聴覚というハンディを持つことによって
さらに困難になってしまう厳しさ。
目に見えない障害というか、ハンディって本当に理解してもらいにくい。
目に見えないことが障害になっているということは、その時点でコミュニケーションしていく初段階が奪われてしまうことにもなるんじゃないかって。
普段、私は発達障害の大人や子どもと出会うことが多いから、またこうした聴覚的ハンディという別の次元でのコミュニケーションの齟齬だったり壁だったりに改めて立ち止まる。
*愛について
伸の、相手を深く知ろうとする姿勢。
無知の状態で、相手を質問攻めにして理解していくのではなくまずは自分が知識を得ること。
その知識を基に確認しながら、目の前の相手を理解していこうという姿勢。
でも、時にその伸の姿勢は真っすぐ過ぎて、紳士すぎて、理屈っぽくてイライラしたり、
オブラートに包んでいるつもりでいて、腹が立つ表現もかなり多かった。
女の子を分かってない!って感じでね。
まだ成熟していない男女二人だから、イライラしながらも見守れたのかもしれない。
伸の姿を見ていて、愛するって何かって考えちゃった。
相手が先に何かを切ろうとしたとき、それでも絶対伸自身も同じように切ろうとはしない。
愛されているからではなくて、
相手を愛するから出来ることなんだなって思った。
何度か聞いた“愛されるから必要なのではなく、愛するから必要”の
何か、少しだけ腑に落ちた感があった。
相手が書く文章の中に現れるその人(男の人、女の人)の感性というか、そこにハマる感覚ってめっちゃ分かる。
伸が感じる、ひとみの感性に惹かれていく恋愛の仕方。
確かに、私が男だったら絶対ひとみの感性に惹かれる。
相手の感性に溺れていく感覚となぜか相手に対するジェラシーも同居してしまうひとみのキャパの狭さも何となく分かる。
相手の感性に惹かれていきながら、その相手の感性にジェラシーしてしまって自分から破滅してしまう。
そこには、本当の意味で相手を受け入れるっていうことがないのかもしれない。
ひとみと同じで、自分自身もしんどくなってくるとなげやりな思考停止をしてしまう。
このままでは相手を傷つけてしまうかもしれないからと相手を気遣っているように見せながら、結局それは、これ以上自分が傷つきたくないという自分勝手な事実上の放棄である。
本当の意味でそうされてしまった人の立場やメンツを想像する余裕などない。
このパターンで、私はいくつかの縁が切れてしまった。
自分が変われば相手の出方だって違ってくるだろうに、私はそれは相手がおかしかったからだと結論づけてきた。
過ぎたことは仕方がないこと。
でも、そこで何も学べなければきっと私はまた同じ過ちを犯すんだろう。
陥りやすいやネガティブ思い込みや、勝手な相手へのイメージ。
ハンディがなくったってそういったものが同居しながら、進んでいくものだからこそ、この二人が乗り越えて行かなくちゃいけないものって皆よりもいっぱいあるのかもしれない。
この二人は、ずっと一緒にいるかどうかは分からないけど。
きっと別れるにしても、伸のことだからちゃんと話しあって決めるんだろうかな。
ふぅ、
自分自身が、まだまだ勉強しないとあかんなー。
いや、勉強したいなーと思えたこの1冊。
ありがとう。