私の中の図書館〜ライブラリー〜

読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうので、ストーリーや読んで感じたことを書き留めたいと思います。

東田 直樹 「自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心」(2007)       「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」(2014)

いつだったかのテレビで、初めて彼に出会った。
自閉症の子が、パソコンで自分の思いを綴っている。
実際映像に出てくる彼は、まさしく一目で自閉症とわかるタイプの子だった。
 
この2冊には、東田さんの世界の見え方、感じ方、日々の思いなど…思春期~大人になった流れも感じながら読むことが出来る。
当事者理解の本としては、良書だ。一つ一つがシンプルで、短いのでとても読みやすい。
この仕事をし始めて、今6年目。34年ぐらい経験する中で、当事者側の思いや見方を抜きに支援は出来ないと考えるに至った。当たり前のことのようだが、この感覚で発達支援している人は少ない。
残念なことに、今の日本にゆりかごから墓場まで一貫した発達支援の仕組みは存在しない。
 
当事者の声や体験談は古くから書籍としてはあったはずだが、ちゃんと読んだのは瑠璃さんのどろだんごが初めてだった。
大きなくくりでいうと、
瑠璃さんは、いわゆる自閉性はあるが、高機能タイプのPDD。話し言葉を持つ。
東田さんは、自閉性の強い、カナータイプの自閉症。いわゆる、話し言葉をもたない重度の自閉症。しかし、彼は自分を表現する術を持っているのだ。そう思うと、やっぱり、大事なのは言語の話し言葉によるコミュニケーションを持つことを目指すのではなく、どんな手段であっても自分を表現するコミュニケーションの幅を広げる支援が必要なんだと痛感する。
 
十分ではないかもしれないが、ともすれば“わざと”と言われてしまう彼らの行動の意図、彼らの思いを理解し、代弁しなくては…と強く思いながら発達支援の仕事をしてきた。決して黒やグレーを白にする支援をしてきたつもりはない。
 
心に留めておきたい内容
◎「挨拶」
僕は、上手に挨拶ができません。…僕には、人が見えていないのです。人も風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです。山も木も建物も鳥も、全てのものが一斉に、僕に話しかけてくる感じなのです。それら全てを相手することは、もちろんできませんから、その時、一番関心のあるものに心を動かされます。…相手が誰だかすぐにはわからないことも、挨拶ができない理由のひとつですが、僕にとっては人間が魅力的な存在ではないからでしょう。
◎「話せない僕の望み」
 人にわかりやすく説明するのは、とても難しいものです。言葉が足りないのかもしれませんが、それ以上に感情がからむからでしょう。…幼かった頃、家族は僕の様子を観察し、泣いている原因を探そうとしましたが、理由はさまざまでした。それに気づいてからは、少しでも泣いている僕の気持ちが軽くなる努力してくれたのです。…僕の望みは、気持ちを代弁してくれる言葉かけと、人としての触れ合いだったと思います。
Interview 
小学校入学後から普通学級に在籍→小学校6年の時に特別支援学校へ転校。中学3年まではの4年間は特別支援学校へ通う。
「特別支援学校では、発達検査や見かけの言動で僕の知能を判断されたため、自分が望むような勉強はできませんでした「僕は、普通の高校生が学ぶ勉強をしたかった」
 
彼らの一見不可解と思われる行動や一見何のきっかけになるか分からないような行動にも必ず彼らなりの理由があること。彼らの見方から、彼らの行動を見つめてみる。それは、支援者として絶対に忘れてはならない視点、見方だと思う。
だから、保護者や家族だけの意向や要望、私たちの勝手な願望ではなく、彼ら自身の声に耳を傾け、彼らを理解することを怠ってはならない。彼らの行動の意味、引き出しを増やしていく努力をしなくてはならない。そう感じた。自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心