田口ランディ 「坐禅ガール」
田口ランディは私にとって、とても思い入れのある作家である。
大学の頃、当時ランディの“コンセント”が流行っていて。
確か本屋で見つけて読んだと記憶している。
ランディが心理学科卒業というのもあって、とても親近感を覚えて。
エッセイも含め、色々読みあさったな。少なからず、影響された。
最近、あまり動向を知らず。ランディはもう物書きを辞めたのかと、思っていたが。
久しぶりに、新刊コーナーで見かけて手に取ったのがこの本。
東北の大震災が少し絡んでいて、作家自身が震災と向き合おうとした作品なのではないかと思った。
冒頭にあった“東北と離れた地で住む私たちが東北の大震災とどう向き合えばいいのか?”“どう弔いをしたらいいのか?”という一節(今手元に本がないので、表現が違ったらごめんなさい)。
震災で彼を亡くしたりん。
作家の私。
座禅の師匠、アイリーン。
それぞれが坐禅を通して、自己からわき上がってくる感情・思考・感じ等…を受け止め、弔い、そして再生していく過程。
そっと、グッと、ギュっと、進む物語に、
さすが、人間の脆い部分と、醜い部分と、でもそれでも生きたい、自分に正直に生きたいと願う気持ちが交錯する感じは私のツボを押さえている。
それは、不思議と私にも別の角度で迫ってくるのだった。
初めて、震災のことに触れてみようと思った。
私は、震災を思うと、津波の映像がまず浮かんでくる。
津波は多くの大切な人、生活、故郷を奪った。
どんなに想像しても、
当時の私にはそこに住む人の抱えるつらさや悲しさややるせなさを想像することが出来なかった。阪神大震災と違って、想像するにはあまりにも、遠く、人事のように感じた。
考えるとつらい。でも、私に何が出来るのか分からない。
そんな私は、震災について語る資格などないと思っていた。
最近、別の考えが浮かんで来た。
私が東北へ行って、直接何かできることはないだろう。
東北の経験を生かさなくてはいけない。
備えと多くの命が救えるような工夫を、皆が自覚していかなくてはならない。
それは物理的なことに限らず、近隣、人と人とのつながりの大切さもだ。
煩わしいことも多いが、普段のコミュニケーションがいざというときに、必ず生きてくる。
被災された人、被災していなくても未だに心の傷が癒えない人が多くいる。
何もできないから、何も考えられないからと逃げるのはやめよう。
自分なりに出来ることを精一杯やることが弔いであり、再生であり、未来に繋がることだと信じて。