私の中の図書館〜ライブラリー〜

読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうので、ストーリーや読んで感じたことを書き留めたいと思います。

黒柳徹子 「窓際のトットちゃん」


「君は、本当は、いい子なんだよ!」
おそらく、単純に“落ち着きのない”という表現では片付けられないほどの多動・衝動性が優位だった小学校1年生だったトットちゃん。 
一番大切な、自信や自尊心をトモエ学園で積み重ね、こんなに立派に社会で活躍できる女性になった。 
今なら、ADHDの診断がつき、支援級への入級を勧められたかもしれない。
公立の小学校を退学したトットちゃん。やっぱり伝え方を、やり方を工夫すると大体の物事の分別はつく子に育つのだった。
何が功を奏したのか。
おそらく、まず頭ごなしに否定されなかったこと。
色々なことを体感して学べたこと。痛い目に合わないとわからんことがある。
彼女の興味・感心にあった教育カリキュラムだったこと。


この本は、実家で小さい頃から何度も本棚で見かけていた本。 
確か、大学の時に手に取ったことがあったものの、最後まで読破出来ずにいた。 
冒頭は読んだことがあったので、黒柳徹子がとんでもなく落ち着きのない子だったことだけは知っていた。 

今の教育は…とかいうけれど、いわゆる従来の教育…先生の言うことを聞かない生徒には排他的…
というのは、なんだ昔からそんなに変わってないんだなぁと思った。 
トットちゃんが小学校へ通っていた頃だなんて、今から50年以上も前のことなのに、トモエ学園校長の小林宗作先生の教育方針は、型破りだ。今でも新しい。
当時、こんな学校を作ることは容易いことではなかっただろう。 
今でもこんな小学校があったなら、私は行ってみたい。し、子どもがいたら通わせたい。
教師は本来の子どもの持つ才能が、花開くためのお手伝いをする人。公式や問題を教えるのではなく、学ぶという姿勢や学ぶ楽しさ、自分なりに考えるということを教えていかねばなるまい。

子どもなりに考えてやったことを丸ごと受け止めてくれる度量のある大人、小林先生。 
きっと、今は花開く前に大人がどこかで線を引いて子どもがしたい話、やってみたい遊びを止めている。 
中々、子どものあるがままの意思を尊重して、その場だけではない何十年後かを見据えた教育を展開することは難しい。教育の力では到底無理で、保護者からの信頼も絶対だ。

今までの中で、本当にこの先生はよかったと心から思える先生が私にはいない。
挙げようと思えば挙がるかもしれないが、この人は!ではなかったりする。
でも、あの大人に会えてよかった、あの大人から大切なことを学べたというのは確かにある。
先生の前に1人の人、人間であることを忘れないでおかなくては。

そう思うと、この先生大好き!と大人になってまでも思い続け、尊敬できる先生ってそうそう巡り会えないのかもしれない。
トットちゃんが素直に羨ましい。

教育の在り方、この国が子どもに何を残していきたいのか、この問いに答えられる成人がどのくらいいるだろうか。
堅苦しい話を抜きにして、
やっぱり、子どもたちが楽しいことを遠慮せずに楽しめ、皆と遊ぶ楽しさも知り、あぁでもないこうでもないと議論し合うことができるということは幸せなことだ。
 
物事の道理を教えることだけが先生の仕事ではあるまい。 子どもなりに考えたことをきちんと聞ける大人でありたいと改めて感じた。


窓ぎわのトットちゃん

窓ぎわのトットちゃん

増谷和子 「カコちゃんが語る植田正治の写真と世界」

植田正治の写真に初めて出会ったのは、鷲田清一の本の表紙だった。
そのときは、植田正治の写真だとは知らなかった。
当時、大学生だった私は確か授業でこの本を紹介されて、読んでみたことがあった。
 
それからしばらくして、京都の本屋でコロナ・ブックスの「植田正治の世界」と出会う。
あ、この人の写真見たことある!植田正治っていう写真家の写真だったんだ!
なぜか、植田正治の写真に物凄く心が惹かれた。
随分昔に撮った作品が妙に新しい。
白黒写真の中に感じる、静けさと美しさ。
お洒落なのに、洗練され過ぎていない、とっつきやすい写真。
きっと発表されている作品は、何枚も何枚も撮った中の1枚。
 
 
いつか行きたいと思ってた、植田正治写真美術館にも4年くらい前に念願かなって行くことが出来た。
鳥取という場所にこだわって、写真を撮り続けた植田正治はやっぱりかっこいい。
都会じゃなくても、こんだけ洗練された作品や物を残せるんだから。
 
植田正治の娘さんが語る植田正治は、どんなもんだろうか。と興味を持った私はこの本を購入した。
本を読むと、少年のように写真に夢中で、新しいもの好きなおっちゃんだった。
植田正治という人間を身近に感じることが出来た。
 
鳥取砂丘で撮影されたと思っていた写真の大半は、弓ヶ浜という場所だったんだなぁ。
確かに、境港から鳥取砂丘まで行くのは大変だ。
 
家族を愛し、山陰を愛した。
写真からは、静かで暖かな愛が溢れている。
また、あの美術館へいつか訪れたい。カコちゃんが語る 植田正治の写真と生活

カコちゃんが語る 植田正治の写真と生活

東田 直樹 「自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心」(2007)       「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」(2014)

いつだったかのテレビで、初めて彼に出会った。
自閉症の子が、パソコンで自分の思いを綴っている。
実際映像に出てくる彼は、まさしく一目で自閉症とわかるタイプの子だった。
 
この2冊には、東田さんの世界の見え方、感じ方、日々の思いなど…思春期~大人になった流れも感じながら読むことが出来る。
当事者理解の本としては、良書だ。一つ一つがシンプルで、短いのでとても読みやすい。
この仕事をし始めて、今6年目。34年ぐらい経験する中で、当事者側の思いや見方を抜きに支援は出来ないと考えるに至った。当たり前のことのようだが、この感覚で発達支援している人は少ない。
残念なことに、今の日本にゆりかごから墓場まで一貫した発達支援の仕組みは存在しない。
 
当事者の声や体験談は古くから書籍としてはあったはずだが、ちゃんと読んだのは瑠璃さんのどろだんごが初めてだった。
大きなくくりでいうと、
瑠璃さんは、いわゆる自閉性はあるが、高機能タイプのPDD。話し言葉を持つ。
東田さんは、自閉性の強い、カナータイプの自閉症。いわゆる、話し言葉をもたない重度の自閉症。しかし、彼は自分を表現する術を持っているのだ。そう思うと、やっぱり、大事なのは言語の話し言葉によるコミュニケーションを持つことを目指すのではなく、どんな手段であっても自分を表現するコミュニケーションの幅を広げる支援が必要なんだと痛感する。
 
十分ではないかもしれないが、ともすれば“わざと”と言われてしまう彼らの行動の意図、彼らの思いを理解し、代弁しなくては…と強く思いながら発達支援の仕事をしてきた。決して黒やグレーを白にする支援をしてきたつもりはない。
 
心に留めておきたい内容
◎「挨拶」
僕は、上手に挨拶ができません。…僕には、人が見えていないのです。人も風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです。山も木も建物も鳥も、全てのものが一斉に、僕に話しかけてくる感じなのです。それら全てを相手することは、もちろんできませんから、その時、一番関心のあるものに心を動かされます。…相手が誰だかすぐにはわからないことも、挨拶ができない理由のひとつですが、僕にとっては人間が魅力的な存在ではないからでしょう。
◎「話せない僕の望み」
 人にわかりやすく説明するのは、とても難しいものです。言葉が足りないのかもしれませんが、それ以上に感情がからむからでしょう。…幼かった頃、家族は僕の様子を観察し、泣いている原因を探そうとしましたが、理由はさまざまでした。それに気づいてからは、少しでも泣いている僕の気持ちが軽くなる努力してくれたのです。…僕の望みは、気持ちを代弁してくれる言葉かけと、人としての触れ合いだったと思います。
Interview 
小学校入学後から普通学級に在籍→小学校6年の時に特別支援学校へ転校。中学3年まではの4年間は特別支援学校へ通う。
「特別支援学校では、発達検査や見かけの言動で僕の知能を判断されたため、自分が望むような勉強はできませんでした「僕は、普通の高校生が学ぶ勉強をしたかった」
 
彼らの一見不可解と思われる行動や一見何のきっかけになるか分からないような行動にも必ず彼らなりの理由があること。彼らの見方から、彼らの行動を見つめてみる。それは、支援者として絶対に忘れてはならない視点、見方だと思う。
だから、保護者や家族だけの意向や要望、私たちの勝手な願望ではなく、彼ら自身の声に耳を傾け、彼らを理解することを怠ってはならない。彼らの行動の意味、引き出しを増やしていく努力をしなくてはならない。そう感じた。自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

リチャード・ボルスタット(ユール・洋子訳) 「NLP子育てコーチング」

NLP子育てコーチング―親の信頼がこどもを伸ばす

NLP子育てコーチング―親の信頼がこどもを伸ばす

NLP

(Neuro-Linguistic Programming)‐アメリカ発の実践的なコミュニケーション心理学


NLPとの出会い…実はもう5・6年前から知っていた。


でもなぜか当時の私にはスっと入って来なかった。もちろん、私なりに努力はし、セミナーにも参加してみた。感想は“なんだ、これとっつきにくい“。集まっているメンバーも内容も、どれも胡散臭く思えた。



だが、やはり、何事にもタイミングというのがあるようだ。


人間本当に喉が渇いているときに、シンプルに水をくれるところへ行きたくなる。その水が、料理でも洗濯でも、入浴でも何にでも使えるのならなおさら。


2年ほど前に、自分自身の悩みを良い方向へ持っていくことが出来ずにいたときには、スーッとお水のようにNLPの話が入って来たのだった。


自分ではなく、他者への支援の在り方としてという入口が余計に良かったのかもしれない。



今回初めて、NLPに関する書物を読んだ。この本がスタートというのが、何とも私らしい笑。


 NLP子育てコーチングというタイトルではあるが、

内容は対子どもだけではなく、対大人にも使えるコミュニケーションの技法がいっぱいに詰まっている。

読んでいくと、実は既に自分が取り組んでいることが多かった。

自分なりにそこに意味を見いだせており、この本を読む中で裏付けされたところもある。


もちろん、新しい見地も沢山出てきた。

一番に感じたのは、やはりラポールの重要性。これがないと、全く先に進めないことに気付く。だとしたら…今後はラポールを築くまでのアクセスについてさらに深めてみたいかも…と感じた。


が、とりあえず、今は読みたかった本を読みあさる時間が出来たので読みたいものを読むぞ!!


 *私なりのキーワード*

ラポールを築く…ラポールなくして、子ども・大人とのよりよいコミュニケーションは成立しないということ。これは、前提の前提。しかし、切れたラポールも取り戻せる。ラポールの築けている状態を作ってから、コミュニケーション。


◎アンカーを設定する…ポジティブな気持ちが思い出せる環境の設定が前向きな自分を作っていく。


◎リフレーミング…物の見方・体験の見方を変える!文句や不平・不満と言う→解決策を見つける方へ自分か他の人を責めることから次に何をすべきか考える方へシフトする。


◎自分の考えや価値観をパワーで相手に押さえつける×…双方がよい結果を生む解決策を共に考えるプロセスが大事。

なんてこったの2014年と欲張らない2015年

2014年の野望では、本を10冊は読みたいんだ!なんて。

 

やっぱり、私はいつも目標を高く設定し過ぎて、達成しなかったーってことが多い。

いやかなり多い。

 

でも2014年は私にとっては変化の年であり、たくさんの思い出が出来た年だった。

2015年は、欲張らず、2冊でも読み切れたら、万々歳だと思う。

 

何もしたくなーい気と新しいことが始まるワクワク感!!

田口ランディ 「坐禅ガール」

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田口ランディは私にとって、とても思い入れのある作家である。

大学の頃、当時ランディの“コンセント”が流行っていて。

確か本屋で見つけて読んだと記憶している。

 

ランディが心理学科卒業というのもあって、とても親近感を覚えて。

エッセイも含め、色々読みあさったな。少なからず、影響された。

 

最近、あまり動向を知らず。ランディはもう物書きを辞めたのかと、思っていたが。

久しぶりに、新刊コーナーで見かけて手に取ったのがこの本。

 

東北の大震災が少し絡んでいて、作家自身が震災と向き合おうとした作品なのではないかと思った。

冒頭にあった“東北と離れた地で住む私たちが東北の大震災とどう向き合えばいいのか?”“どう弔いをしたらいいのか?”という一節(今手元に本がないので、表現が違ったらごめんなさい)。

 

震災で彼を亡くしたりん。

作家の私。

座禅の師匠、アイリーン。

 

それぞれが坐禅を通して、自己からわき上がってくる感情・思考・感じ等…を受け止め、弔い、そして再生していく過程。

 

そっと、グッと、ギュっと、進む物語に、

さすが、人間の脆い部分と、醜い部分と、でもそれでも生きたい、自分に正直に生きたいと願う気持ちが交錯する感じは私のツボを押さえている。

それは、不思議と私にも別の角度で迫ってくるのだった。

 

初めて、震災のことに触れてみようと思った。

私は、震災を思うと、津波の映像がまず浮かんでくる。

津波は多くの大切な人、生活、故郷を奪った。

どんなに想像しても、

当時の私にはそこに住む人の抱えるつらさや悲しさややるせなさを想像することが出来なかった。阪神大震災と違って、想像するにはあまりにも、遠く、人事のように感じた。

考えるとつらい。でも、私に何が出来るのか分からない。

そんな私は、震災について語る資格などないと思っていた。

 

最近、別の考えが浮かんで来た。

私が東北へ行って、直接何かできることはないだろう。

 

東北の経験を生かさなくてはいけない。

備えと多くの命が救えるような工夫を、皆が自覚していかなくてはならない。

それは物理的なことに限らず、近隣、人と人とのつながりの大切さもだ。

煩わしいことも多いが、普段のコミュニケーションがいざというときに、必ず生きてくる。

被災された人、被災していなくても未だに心の傷が癒えない人が多くいる。

何もできないから、何も考えられないからと逃げるのはやめよう。

自分なりに出来ることを精一杯やることが弔いであり、再生であり、未来に繋がることだと信じて。

 

坂東 眞理子 「女性の品格」

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数年前に、流行った本。

結婚を前に読んでみた。

なんて真面目な自分笑

頑張りすぎてたな、おそらくH26年5〜6月頃に読んだと思う。

 

ごくごく当たり前のことが、やんわりと頭ごなしでもなく、シンプルにでも教えとして書かれている。

 

とてもじゃないが、全部出来るはずはなく、誰も全てを求めてもいないんだろう。

だけど、

・型通りの挨拶ができる

・値段でモノを買わない

・無料のものをもらわない

・後輩や若い人を育てる

役不足を嫌がらない

・品格ある男性を育てる

は心がけたい。