私の中の図書館〜ライブラリー〜

読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうので、ストーリーや読んで感じたことを書き留めたいと思います。

藤田嗣治 「猫の本」

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私は、猫好きである。

 

藤田嗣治の絵には、よく猫が登場する。

猫と生活している人の絵って、やっぱり描写が違うなぁ。といつも感じる。

飼い猫の動きをよく見ているからだ。

 

そして、女性と猫の切っても切れない関係。

Q;女と猫とを描くのはどんな関係ですか?

Fuji;女はまったく猫と同じだからだ。(中略)御覧なさい、女にヒゲとシッポを付ければそのまま猫になるじゃないですか。

 

ほんわりした、乳白色の中に描かれる女性は、艶かしくもあり。

猫には気品の高さとふてぶてしい眼光が宿る。

でも、決して逃げ去りはしないその姿。

気がつくと、また目で追ってしまうんだな。

 

 

 

~2014年 今年の野望〜

ブログを移行してみて気がついたこと。

それは、4年間で焼20〜24冊程度しか読んでいなかったこと。

 

年平均5~6冊って、少ないね。

今年はせめて10冊は読みたいなって思う。

 

こうして読んでいる本を時系列に見ていくとね、

1つ1つのストーリーって実は細かくは覚えていないんだけど。

自分の心境の変化やそのとき何を考えていたのかがわかるんだな。

 

読むと読まないでは、何かは違う気がする。

でもながーい目で見たときにはその違いが分からない。

 

数多く読むことは私向きでない。

一つ一つ、噛み締めて読んでいると思う。

だから読むことにも構えてしまってるんだなー。

何だか、読み進まない本が最近多くて。

 

未読コーナーを設けるか。

それもまた、ありかな。

朝比奈あすか 「彼女のしあわせ」

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2013年10月10日

あれ?

なんだかア行の作家多くね?
そう、何かを借りたい !ってわけでもなく、
例のごとく、それとなく手を伸ばして出会った。
 
うーん。。
3姉妹(一番下;凪子 → 真ん中;月子 → 長女;征子)と母(佐喜子)のチェーンストーリー。
 
生まれつき子どもが産めない身体の凪子。
昔から、姉と比較されることが嫌で母に反発してきた月子。
昔から、父に変わって母の愚痴や色々なことを受け止めすぎてきた征子。
空気の読めないマザコンの旦那が我慢ならなくなった佐喜子。
 
どれも、ありがちな話だけど、少しずつ絡まった糸が解けていく。
あまり感情移入出来なかった話。

 

千早 茜 「あとかた」

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2013年8月13日

なんでかな、本題は“あとかた”なのに

“うたかた”だと思いこんで読んでた。

あとかた…もと何かがあった証拠として残っているしるし。形跡。痕跡。

うたかた…水面に浮かぶ泡。はかなく消えやすいもののたとえ。

 

 

読み終えた今、“あとかた”だなとはっきりと思える。

 

一つの物語なんだけど、ある男の死にちなんだ主人公が変わっていく展開。

こういうのチェーン・ストーリーっていうんだっけな。

 

最初に読み始めて、あ、この作風好きだなって思った。

人間の弱いところと人間同士でないと乗り越えられないものがあるというところ。

人間性に触るというこの感覚が好き。

 

痕跡が身体や現実ににある中での不倫と私のものにしたいといつか願う不倫は違うのかもしれない。

かたちから滲みでてしまうというか、滲み出てしまいたい感覚というのは誰しも持っているような気がする。

 

年齢っていうよりも、人は一つのかたちっていうのに慣れてしまうとかたちを残しながら別のかたちを手に入れようとするのかもしれない。

そういう風にも思える。

別にそれを壊したいと願ってるわけではないけれど、

壊すことで今あるかたちを確認したり、今ないかたちを求めるっていうような。

 

当然、そうなるとどこかに歪みは出てくると思う。

この物語に出てくる主人公の女性は冷めた感情を装った“いい子ちゃん”であるということ。

所詮、結婚なんてかたちだけのものじゃん。

所詮、不倫なんてめんどくさくない相手とするもんやん。

所詮…

 

でも、本当は不倫なんて望んでるわけじゃない、

自分に素直のまんまでいられなくなってるとき、今目の前にいる相手を向き合おうとする力の弱まるとき、

人って結構糸も簡単に不倫出来てしまうんかもしれんな。

好きな男性(ひと)によく見られたいとか、重たい女って思われたくない、

休みなくて疲れているだろうし、自分は元気を与えられる女性(ひと)でありたいとか。

別にやせ我慢しているわけじゃないけど、“いい子ちゃん”になのかもな自分。

 

でも、やっぱり出来るだけ会いたいし、自分一人を見ていて欲しいし、気にかけてもらいたいし、二人で色んなところ行きたいし、好きや、お前しかおらん、特別やって言って欲しい…

 

この気持ちを全面にぶつけたら確かに単なる自己愛なんかもしれん。

 

ただ、

こんな風に思う気持ちは我慢せなあかんことじゃないし、

そう思う自分がおってもええんよ。

 

それを知った上で、

ぶつけることがあってもいいんじゃないかな。

それらをどういう風にお互いでコミュニケーションしていくかについては

私もまだ分からんし、テーマなんやけどね。

 

あ、別に不倫の賛否両論なんて書こうとしてるわけじゃないねん。

自分ももしかしたら不倫してしまうかもなって思ってしまったので

ちょっと私なりに考えてみた。

 

やっぱり、素直な気持ちを表現したい。

山崎ナオコーラ 「私の中の男の子」

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2013年8月4日

久々に、本を読みたいと思った。

あまりディープじゃなくて、日常的なんだけど非日常みたいなやつを。

でも、この本暗かったんだよねー。

 

たまたま図書館で手に取った本で、

「雪村には19歳まで性別がなかった」という冒頭に

何だか心惹かれて借りてみることにした。

 

本に集中する時間がやっと作れたことが嬉しかった。

やっぱり時々読書をするってのはいいもんだなって思った。

 

初めての作家だったけど、この作品はちょっとあんまり進まなかったんだな。

主人公に全く共感しなかったわけじゃないけど、何だか

後味も微妙で、趣旨がよく分かんないや。

っていうのがまず最初の感想だった。

 

前半は、

「…雪村が自分を、脳だけの存在、と思っていたからかもしれない。肉体がない、と思っていた。

たまたま脳の側にある、手や足やおっぱいって思っていて」

と言っていたのが、

後半は、

「雪村は…ただ頭の中だけで生きて、自分というものが存在しないがごとく振る舞っていた。手や足を動かすだけで、自分がここにいる実感が湧いてくる…」

っていう変化は興味深いよね。

 

頭のてっぺんから、足の指先まで血が通っているという感覚。

それは単に、肉体的な感覚のみではなく

精神的な統一が図られているという感覚、つまり自分で自分の体を意識できるという感覚。

ちゃんと自分の体が自分の体だと自覚出来ること。

それははっきりとした自覚である必要はないし、コントロール出来なくたっていい。

だって、感覚だもの。

 

おっぱいをそぎ落とすまでした雪村の心理は今一理解は出来ないけれど、

誰かと関わりながら雪村らしく生きる方向性を見出せたこと。

そういう終わり方で安心した。

LiLy 「11センチのピンヒール」 

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2013年1月20日

新聞で、文庫化された記事を見て初めて私はこの作品と作者を知った。

風邪を引いた勢いで一気に読み上げた。

 

 

「女友達に些細な見栄をはることで、積み重なっていく小さな嘘…自分をカッコよく見せるためについたはずの嘘が、どんどん彼女を孤独にしていく…」

他人事には思えないこのフレーズをどこか自分と重ねてしまう人っているんじゃなかろうか。

 

 

主人公のリコは24歳だから、私なんかよりもっとグッと若いのに。

でもやっぱり、大学出ていても24歳なら皆働き出して2年目だし、定職につけて正規職員ならばそのことだけで社会から必要とされているって感じることが出来る。

ただでさえ東京っていう場所で、孤独と隣合わせで生活している感じ。

自分は幸せなんだ、満たされているんだってことを身につけるもので表現したくなる。

気が付いたら、あらぬ嘘をついて、それが本当だったかのような感覚に陥っていく。。

 

東京じゃなくても、非正規で働きながら独り暮らししている孤独さは私にもわかる。

それに耐えられなくなったっていうのもあるんだよね。

素直でありたい。

 

 

そうなんだよね。

女友達ってのは、時に味方で時に見栄を張り合う関係になったりで面倒くさい。

この年になると色々あるんだ。

でも、素直でありたい。

年を重ねれば重ねるだけ、素直でありたいと願うことが増える。

 

最終的に、リコは友達に自分の本当の姿を友達にさらけ出すことが出来た。

それは、本当はそうしたいと願っていたリコ自身の本心とタカノの存在があったからだろう。

自分が背伸びしなくてもいい、等身大の自分でいられるような感覚を忘れずにいたいし、

そういう人との出会いを引き寄せるものを持っていたいと思う。

有川浩 「レインツリーの国」

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2012年11月25日

短い内容だったど、読んでから感想をupするまでにものすごく時間がかかった。

読み終わって1カ月ぐらい経ったかな。

色んなことを考えさせられた。

聴覚障害についてや愛について。

 

閉館ギリギリの図書館で、2冊目が決まらずにいたとき。ただほんまに“有川 浩”の段で読みやすそうかなと思ってチョイスしただけだったのに。

 

読み始めてすぐに引き込まれていった。

顔を見ていない、ネットというメディアを媒介しての恋愛のはじまり。

「レインツリーの国」

ここだけだと一瞬どこかで聞いたような話。だけど、この小説はもっとずっとぐっと奥が深い話。

ただの恋愛じゃなく、中途難聴の女の子と健聴者の男の子の恋愛。

 

*聴覚障害について

実際に、全聾の人に出会ったこともあるし、難聴の人に出会ったことだってある。

実は、私の母も感音性難聴ではないかって言われている。

思えば、深く考えたことなんて一度もなかった。

結局、私は表面的には知ってはいたけど相手を知ること・想像することはしていなかったわけだ。

おそらく、こうした今でさえ本一冊出会っただけで何が変わったっていうんだ、と

思う人もいるだろう。

これで全部を理解しようなんておこがましい。

そんなことをしたいと思っているわけじゃない。

ただ、知らない世界を知ろうとすること理解しようとすることを

してみたいと本当に思った

それだけは事実。

 

聴覚障害は二重絡みの障害でもある。(中略)聴覚障害で最大の問題は、人間としてのコミュニケーションから隔絶された状態に置かれることになるのを世間になかなか認知されないことだ」

 

聴覚障害って人事言っても、

聾亜

難聴者(軽度~高度難聴)

中途失聴

老人性難聴

と色々な区分がある。

 

驚いたのは、全聾者と難聴者・中途失聴者の持つ文化が微妙に違うってこと。

「全聾者が第一言語を手話とし、手話コミュニケーションを母体とする独自のコミュニティを持つことが多い。そして、『話せるのに聞こえない』という点において健聴者から理解されにくいのは中途失聴や難聴者である」

 

難聴

障害の原因、部位によって“伝音性”と“感音性”とに大きく二分される。

“伝音性”…外耳や中耳の伝導性に問題があって音の伝わりにくい難聴。治療や聴覚器具の助けがかなり期待できる種類の難聴。「聞こえない音を大きくする」というシンプルな補助が有効。

“感音性”…内耳から奥の聴覚神経に問題がある。一般的に高音域になるに従って聴力が落ちてくる。「聞き分ける」能力の障害でもあるため、単純に補聴器等のボリュームをあげても雑音の大きさが上がるだけになってしまう。治療法も限られ、その効果も伝音性ほど期待できない。

“混合性”…伝音器にも感音器の両方に原因を持つ難聴。

 

残存聴覚…残された聴覚

 

参照;「<a href="http://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/001.html">聞こえてるけど、聞き取れない</a>」http://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/001.html

 

 

日常の中では…

その他、後ろから話しかけられると何を言っているのか聞き取りにくいことや雑音の多い場所では会話が聞き取りにくい。エレベーターのブザー、体温計・キッチンタイマーの音が聞こえない(そういえば、これはうちの母もそうだ)。

 

こうして

知識として得ることは出来ても体験して分かることは出来ないから、

ただでさえ、難しい人とのコミュニケーションが聴覚というハンディを持つことによって

さらに困難になってしまう厳しさ。

目に見えない障害というか、ハンディって本当に理解してもらいにくい。

目に見えないことが障害になっているということは、その時点でコミュニケーションしていく初段階が奪われてしまうことにもなるんじゃないかって。

普段、私は発達障害の大人や子どもと出会うことが多いから、またこうした聴覚的ハンディという別の次元でのコミュニケーションの齟齬だったり壁だったりに改めて立ち止まる。

 

 

*愛について

伸の、相手を深く知ろうとする姿勢。

無知の状態で、相手を質問攻めにして理解していくのではなくまずは自分が知識を得ること。

その知識を基に確認しながら、目の前の相手を理解していこうという姿勢。

 

でも、時にその伸の姿勢は真っすぐ過ぎて、紳士すぎて、理屈っぽくてイライラしたり、

オブラートに包んでいるつもりでいて、腹が立つ表現もかなり多かった。

女の子を分かってない!って感じでね。

まだ成熟していない男女二人だから、イライラしながらも見守れたのかもしれない。

 

伸の姿を見ていて、愛するって何かって考えちゃった。

相手が先に何かを切ろうとしたとき、それでも絶対伸自身も同じように切ろうとはしない。

愛されているからではなくて、

相手を愛するから出来ることなんだなって思った。

何度か聞いた“愛されるから必要なのではなく、愛するから必要”の

何か、少しだけ腑に落ちた感があった。

 

相手が書く文章の中に現れるその人(男の人、女の人)の感性というか、そこにハマる感覚ってめっちゃ分かる。

伸が感じる、ひとみの感性に惹かれていく恋愛の仕方。

確かに、私が男だったら絶対ひとみの感性に惹かれる。

相手の感性に溺れていく感覚となぜか相手に対するジェラシーも同居してしまうひとみのキャパの狭さも何となく分かる。

相手の感性に惹かれていきながら、その相手の感性にジェラシーしてしまって自分から破滅してしまう。

そこには、本当の意味で相手を受け入れるっていうことがないのかもしれない。

 

ひとみと同じで、自分自身もしんどくなってくるとなげやりな思考停止をしてしまう。

このままでは相手を傷つけてしまうかもしれないからと相手を気遣っているように見せながら、結局それは、これ以上自分が傷つきたくないという自分勝手な事実上の放棄である。

本当の意味でそうされてしまった人の立場やメンツを想像する余裕などない。

このパターンで、私はいくつかの縁が切れてしまった。

自分が変われば相手の出方だって違ってくるだろうに、私はそれは相手がおかしかったからだと結論づけてきた。

過ぎたことは仕方がないこと。

でも、そこで何も学べなければきっと私はまた同じ過ちを犯すんだろう。

 

 

 

陥りやすいやネガティブ思い込みや、勝手な相手へのイメージ。

ハンディがなくったってそういったものが同居しながら、進んでいくものだからこそ、この二人が乗り越えて行かなくちゃいけないものって皆よりもいっぱいあるのかもしれない。

この二人は、ずっと一緒にいるかどうかは分からないけど。

きっと別れるにしても、伸のことだからちゃんと話しあって決めるんだろうかな。

 

ふぅ、

自分自身が、まだまだ勉強しないとあかんなー。

いや、勉強したいなーと思えたこの1冊。

ありがとう。